「何も出来ない」からこそ、毎日「あらゆること」に手を出します!
こんにちは、マリーナです。
二回目の投稿ですね。今回は、まず私の人生観と行動してる事について話します。
よく発達障害は能力に凹凸があり、こだわりが強いと言われます。
そのこだわりを社会に活かせばいい??間違ってはいないです!
例えば、私はアニメや漫画が大好きです。家には漫画が、1000冊ほどありました。(床が抜けそうなので、ほとんどを売り払い、今は電子書籍を使っています)同量の同人誌もありました。
でも…じゃあ
それ何かに活かせますかね??
漫画評論家になるなら、1000冊程度読んでたって足りません。デザイナー、アニメイタ―、漫画家?漫画が少し好きな程度でなれるものではありませんでした。凸部分が中途半端なんです。
※全て、チャレンジした後で言っています。
“努力が足りなかったからじゃないの?”“好きなことなら出来るはずでしょ?”と言われれば、それも間違っていないです!
でも
もっと自分に合うものがあるかもしれないのに、報われるかどうか不明なものに没頭し続ける必要はあるでしょうか?
本当に出来るならやってください。それで生活もしていけるなら。ただ、私の言うことも至って普通の事じゃありませんか?
だから私は、全ての事に手を付け、向いてないと思ったら即止めます。そしてまた、すぐ次の事に手を出します。
例えば、このブログ…やろうと思い立ったのは今日です。
朝目が覚めました。「最近妙に上手くいっているなあ…そうだ、今までの事を振り返る為にもブログを付けようか」と考えました。
日曜だったので、そのままPCを開いて手を付け始めました。
六時間くらい奮闘しました。「どこで作ればいい?ドメインって何?てか、まず人のブログ読んで参考にしなくちゃ!でも、時間無い。すぐ公開したいし!ちゃんと作るとお金かかるのか、ならアフェリエイトも視野に入れなきゃ?でもアフェリエイトってなんだろう!?」
紆余曲折、グニャグニャ、あっちのサイトへふらふら、こっちのサイトへふらふら。
細かい挫折を繰り返しつ繰り返しつ、思い立ってから八時間たった今、まさにこの記事を書き終わったら、公開です!
毎日こんな感じで過ごしています。
当然、めちゃくちゃやらかして大恥をかくこともあります。(歌がど下手なのに歌手のオーディション受けて笑われたり)逆に、小さな賞を貰うこともあります(詩やスマホ写真のコンクールでささやかに評価されたり)
そういう人生も良いんです。
“別のことばかりやってる一生、それも悪くねーだろ。まあ、枝ばかりある木みたいなもんさ”
…その通りです。人生という幹の枝は経験です。最後に頂上に登り着くための取っ掛かりは枝です。その長短はそんなに重要じゃない。それより重要なのは、枝の量です。
枝が多ければ、登りやすくなります。
大量の経験こそが力です。
人生登っている途中、落っこちたって
その木が枝ばかりの木なら、どこかに引っかかって助かるかもしれませんね。経験は、自分を助けてるんです。